トマ・ピケティ著『21世紀の資本』のロジック面を追いながら、その中で感想や反論を書いていきたいと思います。本稿を読むのに予備知識はほとんど必要ありません。易しく説明していきますので、この本に途中で挫折した人が再挑戦する助けにもなると思います。

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一国にA社のAさんとB社のBさんの二人がいる経済モデルを考えてみましょう。
2社は共に600億円分の実物資本を持っていて、それを稼動させて1年にそれぞれ113億円分の製品を作ります。AさんはB社の全ての製品をツケで買います。BさんはA社の全ての製品を買ってツケを解消します。よって、この国のGDPは226億円(=113億円×2)です。
2社にはそれぞれ600億円分の資本がありますが、経年劣化で1年で価値が13億円分減って587億円になってしまいます。(減価償却分が13億円)
よって、二人は購入した製品113億円のうち13億円分を自社の資本に回して、その価値を600億円に戻します。

すると、外国との取引がない時の国の「国民所得」はGDPから減価償却費を引いたものなので、この国の「国民所得」は200億円です。この200億円分の製品から50億円分(一人当たり25億円分)の製品を税金分として政府に物納します(必要であれば政府はこれを換金します)。そして二人とも手元に残った製品(食料品・機械・消耗品など)は全て消費して無くなるとしましょう。
減価償却費は「今日では、ほとんどの国だとGDPの1割強(p.46)」となっています。上記の数値例もそれにならいました。
AさんとBさんの資本と所得を図示すると次のようになります。
資本が国民所得の何倍あるかは、βという記号で表します。
上の例だと、β=600% です。

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さて、上の例ではAさん、Bさん共に税引き後の所得を全て消費していました。減価償却分だけは資本へと戻していましたが、彼ら二人が心を入れ替えて(?)毎年所得のうち12%を貯蓄(資本への再投資)に充てると決心したとします。
すると、消費(と納税)は88億円分にとどまり、残りの12億円分は新たな資本として上積みされることになります。
すると、資本はそれぞれ612億円となります。つまり資本が2%増えました。国民所得もこれと同じ割合で増えると考えると(つまり、新たに増やした資本もこれまでの資本と同じ効率で稼動すると仮定している訳です。この仮定については後ほど検討します)、二人はそれぞれ102億円の所得を得ることになります。
同様に続けていくと、その翌年の所得は104.04億円、翌々年は106.12億円……と、毎年2%ずつ増えていくことでしょう。

そこで、sを貯蓄率、gをGDP成長率とすると、次の「資本主義の第二基本法則(p.173)」が導かれます。(説明の流れの都合上「第一」の方は後回しにします)

 β=s/g

GDPから減価償却費を引いたものが国民所得なので、GDPに対する減価償却費が毎年定率だとすると、GDPの伸び率と国民所得の伸び率は同じになります。(上の数値例ではどちらも2%)
すると、国民所得からの貯蓄率が12%で、GDP成長率と国民所得の伸び率が2%であるなら、前者を後者で割ったβの値は6(=600%)となる訳です。

上の例では、βの値に合わせてsとgの値を決めました。つまり、最初から均衡した例を示しました。
より一般的には、sとgの値が分かっているときに、βの値がそこから導かれる第二基本法則の値に近づいていくと考えることができます。つまり、現在のβの値が何であれ将来的にそれが収束する値がsとgの値から分かるという訳です。
式から、貯蓄率が高いほど、GDP成長率が低いほど、βの値は大きくなります。

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さて、今A社をBさんが買収して、B社をAさんが買収して「持ち合い会社」になったとします。持ち合い後も二人はこれまでと同じ会社で(労働者として)働きます。
A社の利益のうち30億円がオーナであるBさんのものとなり、B社の利益のうち30億円がオーナであるAさんのものとなります。
また、AさんはA社の利益のうち70億円をサラリー(労働収入)として受け取り、BさんはB社の利益のうち70億円をサラリー(労働収入)として受け取ります。
すると、二人の所得は以前と変わらず100億円ですが、その内訳は資本所得の30億円と労働所得の70億円に分解されるようになります。今や二人は資本家でもあり労働者でもあります。
これは、現代人がサラリーマンとして(人の会社で)働きながら、株(企業)も持っているというような状態と同じです。
この時、AさんとBさんの資本と所得は次の図のようになります。
ちなみに、国民所得の資本家と労働者の取り分は「一般に言われている数字は、労働が3分の2、資本が3分の1(p.44)」だそうなので、ここでの数値例もおおむねそれに従いました。(資本家の取り分が33.33億円よりちょっと少ないですが)

国民所得のうち資本家がもらう割合のことを、αという記号で表します。
上の例だと、α=30% です。
また、資本に対する資本所得の比のことを「資本収益率」といい、rという記号で表します。
上の例では、r=30億円÷600億円=5% となります。

以上から、次の「資本主義の第一基本法則(p.56)」が導かれます。

 α=r×β

図から、この関係は一目瞭然でしょう。

現実世界ではこのような「規模感(β=600%, α=30%, r=5%)が典型的な値と考えていいだろう(p.57)」と本文にあります。

ここまでの説明では、単純化のために一国に二人しかいないモデルを考えましたが、もちろん現実には大資本家もいれば小資本家もいて、大金を稼ぐ労働者もそうでない労働者も、資本家兼労働者もいます。
だから図では、「個人としてのAさんとBさんの資本・所得」を表しましたが、もちろんこれを「一国の資本・資本所得・労働所得の合計」と置き換えても上と同様の議論ができます。

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さて、本書にはさまざまな図が登場しますが、次の二つは特に重要です。



最初の図は産業革命後のβの値の推移で、その次の図が、歴史的なrとgの値の推移です。
前者は10年ごとにプロットされたβの値を実線でつなげたものですが、第一次・第二次大戦の時期を考慮して、引用者が赤線を付け加えました。大戦期については、こちらの方が実態に近いでしょう。
記号の意味は説明済みですので、これら二つのグラフから資本蓄積と所得の上昇の様子をグラフにしてみましょう。(なお、2012年までのrとgの値は、本書の参考データとしてネット上で提供されている正確な値を用いましたが、βの値については原著の図5.8から直接読み取るしかありませんでした。よって、以下のグラフには細かい誤差があるでしょう。)


1870年の年初の国民所得を1として、2012年まで国民所得がgと同率で上昇すると仮定したときのグラフはこのようになります。(グラフのタテ軸は1→10→100と増えていく対数軸であることに注意して下さい)

具体的なグラフの作り方は次の通りです。
まずgの値から国民所得の伸び方が決まります。
次に、それに各時期のβの値を掛けて資本の伸び方が決まります。
その次に、資本にrの値を掛けて資本所得の伸び方が決まります。
最後に、国民所得から資本所得を引いて労働所得の伸び方が決まります。

グラフから、資本が蓄積されて資本家も労働者も豊かになっていっていることが分かります。
(グラフの最初ではα=22.54%で、最後ではα=23.46%なので、“格差”は少しだけ開きました。さらに、原著の図にある将来予測が正しければ、2100年にはα=28.69%となります。)

国民所得はグラフの最初と最後で約37倍の違いがあります。しかもここで用いたgの値は産出(モノ・サービス)の成長率(実質GDPの成長率)なのでインフレの影響はありません。この間に世界人口は約5倍になってますので、一人あたりの購買力は7.4倍(=37/5 倍)に増えています。
一口に7.4倍といっても、これは年収で比べると270万円と2000万円くらいの違いがあります。庶民と金持ちの差と言っていいでしょう。
よって、現代の庶民は昔の金持ちと同じくらいの購買力があると言えます。(参考までに書いておくと、グラフの始まりの1870年にはネットどころか電気さえ通っておらず、平均寿命は40代です)

さて、このグラフには一つ大きな不満があり、それは第一次・第二次大戦による資本破壊の影響がほとんど描かれていないことです。これは、1913年〜1950年までのGDP成長率を一律 1.80657698966831% としている元データの制約のためです。より正確には、戦時中は資本破壊によりおおむねGDPはマイナス成長で、それ以外の期間はプラス成長となり、資本所得・労働所得もそれと連動します。
大戦による資本破壊の影響を見たいなら、図5.8だけを見た方がその実態がよく分かるでしょう。
(戦時中のGDPの推移については例えばこちらを参照して下さい。)

という訳で、大まかではありますが、「産業革命以降は資本蓄積が進み国民が豊かになっていった」ということが明らかになりました。
そして、その豊かさの分配は徐々に資本家に有利なようになっていった(αの値が上昇していった)ことも分かりました。次にこの分配について詳しくみていきましょう。

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図10.9が教えるところによれば、資本収益率は歴史上だいたい5%程度だったようです。
なぜその率なのかは「市場でそう決まったから」と答えるしかありません。
例えば、1株あたり50円の純利益を出す株を1000円で買った人は、配当益+値上がり益で年5%の利益を(株の値動きのリスクを受け入れた上で)狙っている訳です。反対側にはこの株を売った人がいて、その人はその人で自分の事情があります。
自由経済を認めるなら(誰かから「5%は欲張りすぎだからもっと高く買うべき」などと強制されたくないなら)、上の歴史的な資本収益率は「そういうもの」として認めるしかありません。そうやって資本は蓄積されていった訳です。

資本収益率が一定のとき、資本蓄積の結果、資本家と労働者の間で所得がどう分配されるのでしょうか。次の A, B, C の三つのケースをみてみましょう。

<ケースA>


<ケースB>


<ケースC>

ケースAでは、資本所得と労働所得が同じ割合で増えています。よってαとβの値に変化はありません。矢印の下の図はその上の図を横方向に拡大コピーしたもので、資本家と労働者が同じ割合で豊かになっていく「優しい世界」といえるでしょう。

ケースBでは、労働所得は変化せずに資本所得だけが増えています。よってαとβの値は上昇しています。資本家は富み、労働者は豊かになっていません(貧しくもなっていませんが)。

ケースCは、この二つの中間です。資本所得も労働所得も増えていますが、前者の増加率のほうが大きいです。よって、αとβの値はケースBほどではありませんが上昇します。
産業革命以降の経済成長は、まさにこのケースCのような形でした。

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さて、これまでの話から、産業革命後の資本・資本所得・労働所得の変化の様子を1枚の図にまとめると次のようになります。


平時には資本が蓄積されて、資本家も労働者も豊かになり、資本の効率は落ちていくためにβの値は上がっていきます。逆に大戦期には資本が破壊されて、資本家も労働者も貧しくなり、βの値は下がっていきます。前者が徐々に進行するのに対して後者は急速に進行します。(作るより壊す方が簡単だから)

「資本主義の第一基本法則」により、rの値が固定されているときにβの値が上がるとαの値も上昇します。(逆にβの値が下がるとαの値も下降します)
ピケティが本文中で「格差が広がる」と言うとき、それはほとんどの場合で「αの値が上がる」ということを意味します。
彼はまた「第二次大戦直後には小さかった格差が今日では上昇してきている」というようなことを本書で繰り返し言うのですが、では大戦期が良かったのかというと、それは資本破壊によって労働者が貧しくなり、資本家がそれ以上に貧しくなるという形で“格差”が縮まっていた時期なので、これは誰の得にもなっていません。

データが示す通り、歴史的には資本蓄積は労働者の利益に適います。しかしピケティがそのことについて本文で強調することはありません。反対に、「資本家が貯め込むから“格差”が広がってけしからん」という方向に話が持っていかれがちです。

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先ほど、「資本主義の第一基本法則」により、rの値が固定されているときにはαとβの値は連動するといいました。ということは、αの値を上げない(“格差”を広げない)ことと、βの値を上げない(資本効率を下げない)ことは同じ意味を持ちます。しかし、大戦期以外ではβの値は上昇していて、だから格差は広がっているというのがピケティの言い分です。
しかし、本当に図5.8が示すように大戦期以外で資本効率は下がっていっているのでしょうか。現代では機械化によって大量生産が可能になっているので、資本効率は上がっていっているのでは? と素朴な疑問を持つ人がいてもおかしくありません。以下に、その謎を探っていきましょう。

身近な例として、飲食業のオーナー経営者が自力で店を回すのは、2店舗が限界だといわれています。3店舗以上の店を回そうと思ったらシステム化が必要になりますが、いったんシステムを作ってしまえば、3店舗だろうが3万店舗だろうが同じように回すことができるようです。
ときおりメディアに出演する飲食業の成功者の羽振りがよさそうなのはこのような事情によります。つまり、彼が金持ちになったのはシステム化(技術革新による機械化やマニュアル化を行い、経営管理をして大量生産すること)のおかげです。

資本主義では、産業は次のように発展するのが通例です。

第一段階:100円のコストをかけて100gの商品を作り150円で売る
第二段階:50円のコストをかけて100gの商品を作り150円で売る
第三段階:50円のコストをかけて100gの商品を作り75円で売る

第一段階はシステム化以前の状態です。
第二段階でシステム化が行われ、一商品あたりのコストが半分に下がりました。これは言い換えると、同じ製造コストで倍の商品を作り出せるようになったということであり、つまりは大量生産が可能になったということです。この段階に携わった経営者はパイオニアとして大きな利益を得ます。
第三段階ではシステムが周知のものとなって価格競争が起こり、経営者にとっての利幅は第一段階と同じものになります。これは消費者にとっては福音です。(以前と同じ代金で2倍のモノ・サービスが買える)

分かりやすさのために、製造コストと売値が半額になるまでの様子を示しましたが、もちろんこれで終わりという訳ではなく、時代を経るごとに一商品あたりの製造コストも売値も共に下がっていきます。

システム化は経営者が自分の利益のために行うことですが、それは最終的には消費者の利益にも適います。一時期ファーストフードのハンバーガーが100円かそこらで売られていましたが、個人で同じ内容のものを同じ値段で作ることは不可能でしょう。これは高度にシステム化されたチェーン店だからこそできることです。


原著の図3.2に注目してみましょう。図からはいくつかのことが読み取れます。
人口は増えているにもかかわらず「農地」の比率が下がっていて、なおかつ人々は飢えていません。これはシステム化によって低コスト(=小さい資本)で農産品を流通させることができるようになったおかげです。
我々は100円でキャベツを作れません。人々が各自で農作物を作っていたのでは高コストになりすぎて、今の豊かな食生活は営めないでしょう。

この図で「その他国内資本」というくくりで表されているのは主に産業資本のことで、ここでも低コスト化(=小資本化)は起こっています。例えば、同カテゴリーに含まれる資本のうち「紡績機」のみを取り出してみれば、これは農地の場合と同じように小資本化していきます。よって、我々は昔より少ない負担で服を買うことができます。
新たな産業が生まれては発展し、やがてシステム化・小資本化して、時代によって「その他国内資本」の内訳は変化するものの、同カテゴリーは資本全体に対して常に一定の割合を占めています。(「その他」と表現しなければならないほど、産業資本は時代によって多種多様ということでしょう。株を買ったりオーナー経営者になったりするのは、同カテゴリーに資本を投入することに他なりません)
そして、システム化・小資本化が起こる度に人類は買える物が増えて豊かになっていきます。

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しかしここで、図のシステム化が起こりにくい部門に目を向けなければなりません。それが「住宅」です。
人が住む家屋は、一軒ごとのサイズが大きかったり、建てる土地の形状や住みたい家のニーズが多様といった理由で、システム化による大量生産に馴染みません。ということは、家屋は産業の発展によって段階を踏んで値下がりするということが起こりにくいといえます。
よって、産業革命期と大戦期を経て庶民も家を建てられるくらいに豊かになっているとすれば、住宅資本はその時々の人口に比例した額に近いものが計上されるはずです。この事実をモデル化すると、なぜ時代が進むごとにβの値が上昇するかが分かります。以下にそれをみていきましょう。


上が産業革命前の資本・資本所得・労働所得で、下が産業革命後のそれらだとします。また、人口はこの期間に3倍に増えたとします。

資本を「住宅資本」と「産業資本」に分けて前者からの資本収益を「家賃収入」、後者からの資本収益を「産業資本所得」としました。これらの資本収益率はいずれも5%です。(産業革命の前も後も)
数値から、「ケースC」の成長を遂げていることが分かります。
「住宅資本」は大家が持っている収益物件の場合もあれば、庶民が建てた自宅の場合もあります。後者における「家賃収入」とは帰属家賃(自分の家を自分に貸しているとみなして、同条件の家を借りたらかかったであろう費用をGDPに計上する)のことです。

産業革命の前と後で「産業資本」と「産業資本所得」の数値は同じですが、これは、製造コストの低下(=小資本化)と一商品あたりの売価の低下(=所得の減少)が共に起こって、それと同時に産業規模が拡大しているためです。(第一段階の産業が一つだったのが、第三段階の産業が二つになったようなものだと考えてください)
よって、数値としては同じでもその中身については、産業革命前の産業資本が主に農地で、生産物は主に農産品なのに対して、産業革命後の産業資本や生産物は多種多様だという違いがあります。
一方で、「住宅資本」は人口に比例して増大するので、産業革命後は3倍に増えています。人が増えたために家賃収入も3倍になりました。
そして、人口増加率より、システム化による生産量の増加率の方が大きいので、一人あたりでみた豊かさは増えていきます。より具体的に言うと、居住コストは変わらないものの、買えるモノやサービスの量は増えています。(人口が3倍になったのに対して労働所得は3倍である7.5に達していないので、労働者が貧しくなったように一見思えますが、先ほどの「同じ値段で買えるものの量が増える」という議論を思い返して下さい。)

図中の数値から計算すれば分かるように、産業革命後はその前と比べてβの値が増えています。
これで前節の「大量生産が可能な現代において、なぜβの値が上昇しているのか?」という疑問に対する答が出ました。それは「住宅資本はシステム化による値下がりが起こらないまま人口が増加する一方で、産業資本とその産出物の価格はシステム化によって低下していったから」です。
ただし、人口と住宅資本が基本的には比例関係にあるといっても、大戦による住居の破壊や、住宅資本の耐用年数の長さ(簿価が減りにくい)や、その時々での住宅への投資意欲の大小等は考慮しなければなりません。

こうしてみていくと、βの値の上昇は産業発展と人口増加の結果であり、単純にβの値の上昇と格差の広がりをつなげて論じてはいけないことが分かります。

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さて、私が問題を感じるのが、原著の図10.10です。これは前出の図10.9と似ていますが、rの値に「資産破壊によるキャピタル・ロスの推定値を加算した(p.370)(強調は引用者による)」点が前出のものとは違います。


キャピタル・ロスというのは、通常の意味では「資産の値下がりによってこうむった損失」のことを指します。「1000円で買った株に30円の配当が付いたが、株価は990円に下がったのでキャピタル・ロスを計上すると20円の儲け」という風に使用します。
キャピタル・ロスをこの通常の意味で捉えていると、ピケティの言いたいことは分かりません。彼の言いたいのは次のようなことです。「大戦で資本が破壊されたことにより資本所得は減ってしまった。戦争がなければどれだけの資本所得があったかは今や想像に頼るしかないが、仮に戦前と同程度の資本所得があったと推定すれば、その推定値と現実の資本収益の差がキャピタル・ロスだと言っていいだろう」。
数値例を挙げて説明し直してみましょう。「戦前は100億円の資本に対して5億円の資本所得があった。戦争により資本が40億円分破壊されて、戦後は60億円の資本に対して3億円の資本所得となった。どちらも資本に対して5%の資本所得と言いたいところだが、資本破壊がなければ、100億円の資本に対して5億円の資本所得があったと推定できる。しかし現実には3億円の資本所得しかない。この-2%分をキャピタル・ロスとして加算すると、5%-2%=3% の資本収益率となる」。
要するに、過去の資本と現在の資本所得から「資本収益率」を算出しています。

さらに、本文や図中にも説明がある通り、修正後のrは資本所得から税金を引いた金額を元に計算されています。


少し前に「産業革命後の資本・資本所得・労働所得の変化の様子」として示した図を再掲しました。この図から資本収益率rを定義通りに算出するなら、

戦後のr=A/C
戦前のr=D/F

となるはずです。
しかし、修正後のrは、

修正後のr=(A−税)/F

となっています。
修正後のrについては、分母の資本は第一次大戦前のある一点に固定されているのに対して、分子の資本所得は常に最新のものに更新されています。(だから、戦後に資本蓄積が進むと修正後のrの値も増加していく)
率直に言わせてもらうなら、こういう修正は欺瞞です。修正後のrは本来の意味での「資本収益率」ではありません。
大戦による資本破壊の大きさを示したいなら、資本の量の変化について直接グラフ化すればいい訳ですし、時代による税率の変化を示したいならそれもまた税率を直接グラフ化すればいい話です。(戦費調達が必要な時期は比較的重税だったようです)
ピケティがこういう修正を施した意図とは何なのでしょうか。それは、「r>g なら格差は拡大する」という彼のこだわりの理論のためにそうしたのではないでしょうか。つまり、「大戦期に格差が縮小したのはrの値がgの値より下がったからだ」とどうしても言いたかったからなのではないでしょうか。

では、その「r>g なら格差は拡大する」という理論とはどのようなものなのでしょうか。それは本書の最後の方で少しだけ触れられます。
この言明を言い換えると、「r=g なら格差は拡大も縮小もしない」ということです。
これは、全ての資本所得が貯蓄(資本への再投資)に充てられ、全ての労働所得が消費されて、さらに先ほどみたような r,α,βの値が一定のまま経済成長するケースAの「優しい世界」なら、経済成長率と資本収益率が同じになり(r=g になり)、格差は拡大しないという理屈です。
しかしこれでは、資本家は永遠に消費ができないので生活が成り立ちませんし、労働者が全く貯蓄をしないというのも変です。という訳で、この考え方は目指すべき平等をモデル化したというよりは、「単純化すればこういうモデルも作れる」という程度のものなのだと思います。少なくとも本書を読んだだけでは「r>g なら格差は拡大する」という理屈に納得することはできません。

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本書は後半になってくると、政策提言の色合いが強くなっていきます。その提言は論理的必然性からというより、ピケティの左派的な信条からきているようです。ロジックの問題ではないので、当然ながら別の信条を持つ人達からの反対の声もあります。ここでは私もそういう意見を遠慮なく述べていきたいと思います。(数理や統計データ以前の「考え方」の問題なので、以下に書くことの価値判断は読者の皆さんにお任せします)

ピケティの政策提言で代表的なのは格差是正のための「累進的な資本課税」です。これは税収を増やすのが目的ではありません。自身でも、「これは現代の社会国家が依存している他の歳入をかなり慎ましく補うものでしかない。国民所得の数ポイント分になるだけだ(p.542)」と認めています。
日本の資本課税(相続税と贈与税)も税収としては全体のたった数パーセントですが、格差是正のために存在します。しかし、こういった資本課税が本当に社会のためになるのか、ここはよく考えるべきところです。

税金は原理的にはGDP(≒資本所得・労働所得)からしか取ることができません。所得の一部を納税するというのは、「自分の生産物の一部を公の目的のために無償提供する」のと同じです。例えば、タクシーの運転手は公務で移動する人を無料で乗せてあげる代わりにそれに相当する金額を納税します。
一方で、資本に対する課税というのは、ある人の資本(例えばタクシー)の一部を国が徴収するのと同じです。徴収した資本をより貧しい人に「再分配」すれば貧富の差は縮まるのですが、生産物を生む大元の資本に手を入れる資本課税は危なっかしく感じてしまいます。

実物資本(例えば工場)は、それを有効活用できる資本家が持っている方が、本人のみならずそこで働く労働者にとっても有益です。というのも、ある人達(資本家・労働者)の豊かさを決めるのは、基本的にはその人達の生産量だからです。人は自分が生産した価値の分しか消費できません。これは、原始的な自給自足の生活でも、物々交換の社会でも、貨幣経済でもそうなります。資本課税によって資本の所有者の変更をうながしてもそこ新たな富は生まれません。また、仮にどこかの大資本家が資本を溜め込んでいても、それだけでは社会に害を与えていることにはなりません。

さて、ピケティが提唱しているのは、累進性のある資本課税ですので、大資本家ほど税率が高くなります。大学基金のデータを調べたら、資本が大きいほど資本収益率が高くなる傾向があったので累進性を持たせてもいいという考え方のようです。しかし、資本収益率が高いというのはそれだけ資本を有効活用しているからで、それは社会にとっても良いことだとは言えないのでしょうか。
大資本家ほど資本収益率が高いのはある意味で当たり前で、1万円投資している人は収益率が1%上がっても追加で100円しか儲かりませんが、1億円投資している人のそれは100万円です(後者の1億円はオーナー経営者の自己資本かもしれません)。おのずと資本効率に対する真剣さの度合いも違ってくるでしょう。

産業革命後に国民が豊かになっていったのは、かつての資本家(地主)から農地を取り上げて別の誰かに渡したからではなく、市場経済による資本蓄積と生産量の増大があったからです。そこには資本家も労働者も関わり、成長の過程で資本家兼労働者の中産階級も台頭しました。豊かさを生むものは何かということをよくよく考えてみると、無条件で「大資本家ほど資本に対して高率に課税せよ」というのは正しい政策だとは思えません。

格差が問題なら、所得から徴税するという原則を今一度思い出して、資産家の「所得に対して」増税を行うべきです。
「資本収益率=資本所得÷資本」なので、資本収益率が一定のとき資本所得に対して例えば50%の課税を行えば、無税の場合と比べて資本の実質的な価値は半分になります(年間10億円稼ぎ出す工場には200億円の価値があり、5億円稼ぐならその半分の100億円の価値という単純な理屈です)。それなら、ある人から工場を半分取り上げて国力を落とすよりも、その人の生産物を公の目的のために供出してもらう(所得に対して徴税する)方がずっとスマートではないでしょうか。

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とまあ、色々と批判も書いてきましたが、本書に収められた統計データは読み応えがあり、格差について考える契機になるでしょう。私も、今回取り上げた、ピケティが収集・整理したデータやグラフのおかげで、産業革命後の経済発展について分析することができました。
結論だけを繰り返すと、「二度の大戦による衰退期はあったものの、産業革命以降は物質的には大変豊かになり、数が増えた庶民も家を建てられるまでになった」ということです。

『21世紀の資本』は、本稿に書かれたロジックを押さえておけば途中で詰まることはありませんので、経済や格差について真面目に勉強したい人には一読をお勧めします。








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